幼少期~少年期=泣き虫ヒグマさん

ご無沙汰しています。

年々時の流れの早さを痛感している大ちゃんこと「ヒグマさん」です。。
今回は前回の話に少しだけ出てきた自身の「幼少期~少年期」について。

幼少期~少年期はとにかく「泣く」毎ばかりです。

「泣ける話」ではなく、当事者がなんでもかんでもとにかく「泣く」。
そんな時期でした。

幼少期がいつを指すのかで調べたところ、特に定まった年齢区分は世の中にない様なので
ここでは2~6歳ぐらい(赤ん坊~幼稚園卒業)を指していきます。

突然ですが2~4歳ぐらいまでは記憶がないので割愛します。

「泣く」旅が始まるのは幼稚園入園から。

私が通っていた幼稚園(小学校も)は、大阪市内にあるにも関わらず、非常に少人数制で
一度入園すれば必然的に全員が仲良くなってしまう(親同士も)ぐらい親しみのおける
距離感で過ごせる為、居心地が良いはず。

しかし子供心、特によく泣く子供の気持ちとしてはそんな距離感なんかどうでもよくて、
環境が変わる、親から離れる、知らない大人(先生)、知り合ったばかりの同世代の子供から理解しないまま怒られる。特に同世代の子供の怒りは初体験のため、固まる。。などなど泣く要素のオンパレード。

他の子供達も数人は初日から数日、毎あるごとに泣いていた記憶がありますが、
次第にそのような光景は少なくなり立派な幼稚園児になります。

その中私はかわらず、卒園まで何かあるとすぐに泣いていました。。

・登園の時、親・おばあちゃんと離れるので、泣く(まぁ、これはよくある)
・返事が小さい事で先生にすこし怒られて、泣く(これも。あるっちゃある)
・友達が怒られているのを見て、泣く(まぁ、これもあるかも)
・さよならの時に先生にあたまをなでられ、泣く(あたまをたたかれ怒られたと思う)
・お迎えの親・おばあちゃんのいつもの立ち位置が違うくて泣く(手に負えません。。)

などなど、オチは大体泣き。

これには親も祖母も先生たちも相当手を焼いたようです。

その中、ひとつだけ記憶にある「泣かなかったエピソード」。

飼っていた猫が死んだときでした。

・猫の名前「タマ」
・名付け親「ヒグマさん」
・理由「サザエさんの猫がタマだから」

幼少期~少年期にかけてヒグマさんは犬アレルギーで、好きな犬を家で飼うことが出来ませんでした。ある日父親についてきた野良猫を家で飼うかどうかの話し合いになり、私のアレルギーに委ねられることに。過去犬アレルギーのかゆさを経験している分、怖さもありましたが、可愛さが勝ちすぐに抱っこ。すると全然かゆくなく、くしゃみも出ない!=飼おう!となったのが「タマ」でした。

「タマ」は特に私になついていて、寝る時も、遊ぶ時も一番時間を多く過ごしていました。
私は弟か妹が出来た気分で「タマ」と遊ぶのが楽しくて仕方ありませんでした。

ある日、いつも通り家のリビングで「タマ」と遊んでいた時に、「おもちゃ屋行くからお前も来い!」と言いながら飛び出す兄を、同じように飛び出し追いかけていきました。
数時間後、特に何も買っていませんがおもちゃ屋に行けた事が楽しく満足気に帰っていると、家の前の横断歩道に人だかりが出来てたので、足の速い兄は足早に人だかりに入っていきました。

ヒグマさんもその後をついていきましたが、先に人だかりの中にいた兄から「お前は来るな!」と制されました。すでに状況を把握できるぐらいの距離にいたヒグマさんは、制する兄の手を横目に人だかりの原因を見てしまいます。

血まみれになった「タマ」が目を開けたまま横たわっていました。

はっきり覚えているのが「猫が横たわっている」のではなく「タマが横たわっている」と認識したことでした。

横たわっているタマを呆然と眺めながら「もしかして死んでいる?」と疑問を自分に投げかけるほど状態の把握に時間がかかると共に、なぜ「タマ」がここにいるんだろう?という疑問にも直面していました。

その時に思い出した母の言葉。

「家を出るときは必ず、玄関閉めなさいよ。特にタマはヒグマについていくから。」

私は当時家を出るとき、玄関を閉めないというタチの悪い癖がありました。

“兄の後を追って、おもちゃ屋に行く時玄関をあけっぱなしにしており、後を追ってきた
タマがヒグマさんを探して、そのまま横断歩道で車に轢かれた。”

幼稚園児ながらにこの流れにたどり着き、「タマが死んでしまったのは僕のせいだ」と
ここで泣き崩れる流れになる(泣き虫でなくてもなる)はずが、なぜか泣かず、それどころか血まみれのタマを抱きかかえ、兄に「このままだと、かわいそうやからどうしたらいい?」というような事を聞いたことを覚えています。

そのあと家族と一緒にタマを見送り、そのまま特に取り乱すことなく、泣き叫ぶこともなく普通に晩御飯を食べ、お風呂に入り、普通に寝ました。
次の日の朝も、普通に起きて母や祖母と何もなかったように朝食を食べ、普通に登園し友達たちと遊んで過ごしていました。

ごく自然にいつも通り時間を過ごしていた中、突然幼稚園の先生に呼ばれ、手を引っ張られながら、今まで入ったことのないかなり広い部屋に連れていかれました。
ヒグマさんが通っていた幼稚園は園児の教室の上にお寺の本堂のような建物があり神様が祀られていたのですが、そこに連れられたようでした。

この時点で不思議と「なんでここに来るんだろう?」という疑問はなく、
来るのが当然の様な感じで自然に入っていきました。

祀られている神様の前で、幼稚園の毎日の締めくくり、「おわりの会」でするお祈りを
する様に先生に促され、いつも通りしていると初めは何もなかったのですが、段々胸がすっとしてきて、落ち着き、ざわつき、不快感などいろんな気持ちが短時間で押し寄せてきた後

とんでもない「悲しみ」に襲われ崩れそうになりました。

ただ、泣くことはありませんでした。

理由はひとつ、ただの意地です。

タマのことでは泣きたくない。タマが心配することはしたくない。

泣きたくて、崩れたくて、叫びたくて、どうしよもない淋しさの想いを幼いながら出してはいけない、出したくない。そう思い続けていました。それを隠すためにしていた行動が「ごく普通に過ごす」だったのです。

このことがきっかけで「泣き虫ヒグマさん」は少しましになりました。
とはいえ、小学校3年生ぐらいまでは、普通の子供よりよく泣きますが、、

それ以来、ネコを家で飼うことはありませんでしたが、今でも外で猫を見るとたまに思い出します。真っ白なふわふわの毛で、ネコの割に少し丸い目をした「タマ」がお気に入りのピンクの毬で遊んでいた事を。

「少年期」につづく

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